就職戦線
1月から転職を初めてから今週末でおよそ三か月になろうとしている
その間実に40社以上の会社をうけたように思う。面接だけでそれであるのだから、書類選考となるとその二倍、三倍の世界だ。
というか、書類の突破率が実に悪いと言うか、エントリーして数日後に不採用通知が届くのは、スタート地点にすら立てていないようで、とても苦しい気持ちになる。
現在、使っている派遣会社は紹介会社も含め7社にも及ぶ、始めは3社ぐらいで使っていたのであるが、どこからもいい話がこず使いに使い倒して、7社にまで増えた始末だ。
現状、私の就職活動は苦境に陥っていると言っても過言ではなかろう
ある派遣会社の人などはついに降伏宣言ともとれる発言をした
それは他の会社を使ってみてはどうかという提案だ。
人を派遣をするのがプロの人たちですら、こういった状態でなるのであるから、どうもこの就職活動は厳しいのだなあというのがわかる。
しかしながら、私もこの業界は知っているつもりだし、この業界の倍率なり就職の厳しさなりを体感で味わっている身なのであるから、
派遣会社の人に初めて会う時大抵このように忠告を入れる
自分自身この業界が凄く厳しいということはわかっている。とても苦しい戦いになると思いますが大丈夫ですかと
そう言うと決まって派遣会社の人は大見得を切って自信満々に言うのだ
大丈夫、我々に任せて下さいと
悪い意味で意味で期待通りというか、その結果がこれである。
月に何十回と面接を受けた。その度に不採用の通知を貰った。
面接を受けるときは正直、希望に満ちている。終わったときなんかはやっとこれで働けるのだと満足するほどだ
しかしながら、二三日絶つとその希望は過ちだったということがわかる。
無情にも不採用の通知がくる。決まって文面はスキル不足であるとかそういったあたりさわりのないものだ。
とても、しんだく思っている。早く、働きたいしばりばり活躍してみたいと願っている。大抵の会社の仕事ぐらいは3か月程度で慣れるしこなせる自信もある。
なのに、虚しくも仕事はやってこないのだ。
失業保険が四月末で切れる。それまでに身の振り方を考えなければいけないだろう。
土日が嫌いです(復刻)
無職だから
元々、スーパーで働いていて土日に休むという感覚がなかったのだが、
仕事を失って土日というのが嫌いになった。
私は無職の身の上で曜日なんて関係ないかと思われがちだが
実は、そんなことはない、むしろ無職こそ曜日が関係あるのだ。
と、いうのも土日はどこの会社も営業がストップしてしまうからだ。
つまり、採用エージェントさんも、企業の採用担当もお休みということだ。
これは非常に痛い
急いで就職をしなければならない身としては、土日でいったん求職活動がストップしてしまうのは非常にもどかしく感じてしまうのだ。
面接の結果や書類の返送などがここで何日も遅れてしまう
また、エージェントさんとのやりとりもストップしてしまうというのは、面接活動などの方針もたてづらく、非常に悩ましい局面に陥ることになってしまう。
何よりも困ってしまうのが、企業さんとのやり取りの面だ。
こちらからメールを送っても何日も返ってこないことになってしまう。
そこで、また、やりとるを再開するというのもとても面倒くさい。
だから、今ではメールのやりとりやらは基本土日を意識するようになってしまった。
金曜日まで全てのメールの対応をしやりとりを終わらせる。
しかしながら、企業もこちらのほうも低く見てメールでの対応を後回しにしてしまうことが多い。
どんなメールも基本的に中一日あいてしまうのだ。そして、そこから対応となってしまうので、一つのやりとりだけで一週間かかってしまうこともザラにある。
返信が遅いからといって、こちらから一日や二日で催促のメールを送るわけにもいかず
非常にもどがしい日々を過ごしている。
ああ、すごく疲れるなあ
書評 酔象の流儀(復刻)
興味がないと全く手に取られないジャンルというものがある。
だいたい本読みというのは、話題の小説なんかは一通り読んでみるものだ。
しかしながら、そんな中でも一見無視されがちなジャンルがある。
それが、歴史だ。
私は歴史には人よりも詳しいし大好きだから、歴史というだけで食いついてしまうタチであるのだが、そうでない人に言わせれば歴史とは退屈に他ならないという
その気持ちもわからないではない
だいたい、歴史ジャンルというのは、こと読み手に対してある一定の知識を求める。その時代の風習であるだとか、登場する人物の関係であったりだとかだ。
また、読み方も複雑な上に登場人物の名前が似通っていたりする。
歴史上の人物の名前には通字というのがあり、親族間である一文字を共有したりするので、何もしらない人からみたら誰が誰だがわからなくなる
例えば信長の息子にしたってそうだ
名前の頭に信という字が御揃いでつけている。名前だけみればおそらく信長の息子かもとわからなくもないが、この三人を兄弟順に並べろと言われたら苦労する人もいるだろう。
それに物語にはこの三人だけではなく、信光や信清、信広なんかもでてくる
もはや、ここまで知らないきたら何も知らない人はお手上げだろう。
多少歴史に詳しい人であればこんなものすぐ理解できる問題であるが
しかしながら、多少歴史に詳しい程度ではわからないであろう歴史に埋もれた登場人物がでてくる作品がある。それがこの
酔象の流儀 朝倉盛衰記
酔象の流儀 朝倉盛衰記
作者: 赤神諒
出版社/メーカー: 講談社
発売日: 2018/12/20
メディア: 単行本
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である。
朝倉と聞いてやはり思い浮かぶのは戦国時代の朝倉氏である。
そして、やはりというか盛衰記という題からも、この本も戦国時代の朝倉氏の栄誉ある時代と滅亡までの期間を描いた内容であると推測できる。
ここまで聞いて、多少詳しい人はピンとくるに違いない。
ハハン、この手の本の主役は朝倉家を支えた名称「朝倉宗滴」であろうと
しかしながら、この本の主役はそのどちらでもない
この本の主役は戦国朝倉家の屋台骨を支えたと言われる山崎吉家である。
さらに詳しい人はピンとくるかもしれないが、知らない人のためにも一言だけ紹介すると
山崎吉家とは朝倉家滅亡の決定的な戦となった刀根川の戦いで殿を務めて戦死した剛の武将であると
この一言だけ歴史好きな人であるならば、この本を手にとって読んでみたいとかられるはずである。
何故なら、つまるところ歴史好きというのは、知らない者を知ろうとする人たちだからだ。
こんなマイナーな表にでない武将がピックアップされていれば、どういった人物であれば知ろうとするはずだ。
さて、この本には山崎吉家がどのようにして朝倉家で活躍し、どんな思いで殿の役を買って出死んでいったのかが書かれている。
もちろん、私たちの大好きな「朝倉宗滴」も活躍する。
朝倉氏というのは、信長の野望というゲームでは家臣団はぱっとしないものも史上でいえばその存在感の大きさは多大に感じられる。
義景の父親、英林考景は名称としてしられているし、戦国時代には将軍義昭が幕府再興のために力をたよったほどだ。
しかしながら、現代の我々にとって朝倉氏のイメージは決していいとは言えない。その一役大いに担っているのが、義景の存在であろう。多くのメディアでも彼は暗愚な人として描かれる。
残念ながら、この本でも義景というのはいいとこのお坊ちゃんといった感じで書かれている。
義景が愛していたのは、血まな臭い戦場ではなく、煌びやかな生活でであった。
そんな義景にも男の意地というのがある。それが、本の最後に朝倉家が滅亡するところで描かれている。
残念ながら、その意地というのがあえない結果になってしまうのであるが
さて、そんな愛すべき朝倉家の名称、宗摘の一番弟子として描かれる山崎吉家
彼の天下取りへの挑戦を是非、劇中で体感してほしいと思う。
書評大友二階崩れ(復刻)
武士と我々市井の人々を分ける要素に精神面での要素がある。
江戸時代に山鹿素行と人物がいた。彼には一つの悩みがあった。
その悩みはおそらく江戸期の多くの武士が抱いていた悩みであろう
すなわち
武士とは何か
である。
武士とはいわずとしれた戦う集団である。戦争が起きた際に先陣を切ってでばっていくのが武士の役目である。
すなわち、武士の生業とは戦にこそあった。
しかしながら、江戸期徳川幕府による平和は武士のそういった側面を否定していた。
もはや、武士は不要な存在であるといえた。
武士とは何か、そう思い悩んだ素行はこうつぶやく
「武士というのは、物を売らないのに暮らし、何も耕さないのに食し、家を作らないのに宿を借りる」
この世から戦がなくなり武士というのはその存在を否定されていたのだ。
何もしないのに暮らしていけるのはただの遊民である。何もしないのに民を虐げているのは存在そのものが罪に等しい
であるるならば武士は何をするべきであるのか。何のために存在しているのか
その答えを素行はついに見出す。
「およそ士の職というのは、主人を得て奉公の忠をつくし、同僚に交わって信を厚くし、独りをつつしんで義をもっぱらとするにある」
すなわち、武士というのは聖人たれというのが素行の見解である。
天下に君臨する武士がその民や同僚や下々のものに慕われる存在でなければならない。
そうすることで、天下は安んじるのだと。そして民はそんな武士に対して敬意をいだく、彼からがいるからこそ平和なのだと。
このように武士というのは我々と精神面では大きな剥離がある存在であったといえる。
さて、前向きが長くなったが本日紹介する本はこの本である。
大友二階崩れ
大友二階崩れ
作者: 赤?諒
出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
発売日: 2018/02/21
メディア: 単行本
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戦国時代好きなら必ず知っているであろう名門大友家の政変二階崩れ
その問題は息子である宗麟とその父親である義鑑との家督争いであった。
義鑑は長兄である宗麟に家督を譲らずその弟に家督を譲ることを望んだ。しかしながら、それをよしとしない宗麟は父である義鑑を弑逆することになる
変のあらましはこんなところであるが、本作の主題はそう変の謎に挑むとか、宗麟の政治手腕だとかそういったものではない
そもそもこの本は元の題名は義と愛とであった。おそらく、著者が一番主張したかったのもこれであろう。
主人公は大友家の重心「吉弘鑑理」である。
さて、この吉弘は主家に対して忠義の人物で、当初は宗麟暗殺計画を語る義鑑を諌めようとした。しかし、吉弘の意思は固く吉弘は自らの忠義のために意に反して義鑑の計画を進めようとした。しかし、そこで二階崩れが発生し、忠臣吉弘鑑理はあわや大友家一の反逆者となってしまうのである。
作中でも周りの者はみなこうならば大友家と一戦交えると意気揚揚であるが、吉弘鑑理だけがこれに反対する
何故か
忠臣だからだ。
自らの意地のため武士道をつらぬきとおすために吉弘鑑理はどんな理不尽な目に合うと主家を裏切るようなことはしない
さて、そこで「義と愛と」だ。
家中一の忠臣は自分な理不尽な要求をする主君と愛する者が同時に危機に瀕した時、自分の主とどちらをとるのか?
おそらく、どちらが正しいかという答えとうわけではないであろう。どういう生き方にするかにある。
武士の生きざまに魅せられた本であった。
不運なる将 斉藤義龍(復刻)
義龍と言えば、言わずと知れた美濃の蝮、斉藤道三の息子である。
しかし、親である道三からはその才能を疑われていたようで、
道三は義龍ではなく、弟の孫四朗や喜平次らを可愛がった。
また、娘婿である信長と面会した際は、「我が子らは信長の下に馬を並べるだろう」と信長の将来性を評価し、義龍に対しては評価が厳しかったことが伺える。
そんな父に虐げられ、跡継ぎとしての地位も危うくなった義龍は
長良川の戦いで道三を打ち取り、斉藤家の当主として名実ともに返り咲いたのである。
この時、道三は自分の不明を認め義龍の戦争手腕を認めさすが自分の息子と褒めたという話が伝わっている。
そんな義龍であるが、なんと35歳という若さでこの世を去る
義龍が生きている間は、信長が美濃をとれなかったということから現代では名将としての声も名高い
そんな義龍であるが、なんと先日、発売したばかりの
信長の野望大志PKでの扱いが酷いと批判が出ている。
主に顔グラの面で
戦国時代といえば昨今は、再評価ブームと言われるほど
元来、低評価だった人物を好意的に解釈しようとする機運が高まっている
ゲームにおいてはその動きが顕著で例えば、元来、太った貴族様のイメージであった今川義元が
https://www.4gamer.net/games/378/G037862/20171025126/screenshot.html?num=025
こんな風にイケメン武将
として描写されている。
それだけでなく、コーエーはスマートフォンでの武将ガチャでの販売を計画しているのか武将のイケメン化が著しい作品となっている。ちなみに下は北条氏照である。
そして何故か北条一族はイケメン一族として設定されている。
さて、件の斉藤義龍はどういう風に描かれているのであろうか。
ちなみに彼の父親斉藤道三はイケメンであったらしい
上は斉藤道三の肖像画であるが、これでも若いころは美男子だったらしい(桑田忠親氏によると)
さて、義龍の顔グラを見る前に彼の妹である帰蝶の顔グラをみてみよう
中々の美人である。流石、美男子斉藤道三の血を引くき、信長の嫁となったほどである。
イケメンの斉藤道三、美女の帰蝶、ここまでくると斉藤義龍の顔グラも期待が持てるというものである。
なんと力強い目、男らしい口ひげ
これぞ美濃の名称、斉藤義龍
上の北条氏照と比べて大柄なのは、身の丈6尺という逸話を採用したからでえあろう。
武将のイケメン化が騒がれる中、我らが義龍だけはその容貌まさしく戦国を生き抜きし者の面構えであると言える。
これが、斉藤義龍の肖像画である。
書評 天地雷動(復刻)
いつか会社がなくなるように
戦国の世というのは、いつでも滅亡ととなりあわせでやった。
しかし、滅亡するお家でもその予兆というものがある。今川氏は桶狭間だし、豊臣氏は大坂冬の陣といったようにだ。
それが武田家においては長篠の戦いと言える。
戦国時代屈指の名将といわれた武田信玄の後を継いだのが武田勝頼だ。
しかしながら、ご存じのように勝頼というのは信玄の息子ながら当初はその後を継ぐことは、期待されていなかった。諏訪氏の名跡をついだことからも明らかなようにむしろその信玄の息子ながら、微妙な立ち位置に追いやられていた。
そんな勝頼の苦悩を描いているのがこの作品
天地雷動である。
さて、この作品には、先ほども既述したように信玄没後の勝頼の動きがメインとして描かれている。
信玄という巨大な看板を失った、武田家は迷走をし始める。
大きく分けるとその派閥は、山縣、内藤ら信玄の下活躍をし始めた、四天王と
勝頼の下新しい体で台頭を計る長坂光堅ら新政権派である。
他、徳川家康や、羽柴秀吉なども登場し物語にエッセンスを加える。
例えば、秀吉であるならば三千丁の鉄砲の調達だ。
今をもってなを長篠の戦いの真実というものは、見えてこない。教科書では信長が鉄砲を駆使した新戦術をもって、古き戦いから脱しきれない武田家の完敗に負かしたと説明されるが、詳しいことは謎のままである。
しかし、ながらこの本では従来通りの説を採用してか、三千丁の鉄砲をもって武田を負かしたという筋書きだ。
その中で秀吉が活躍するのは、そ鉄砲を如何にして調達するかという点だ。
なるほど
いかに、信長が日本中に大半を支配していあっといえど、当時まだ製造されていたばかりの鉄砲を如何にして揃えることができたか?この謎を解かずして鉄砲3千丁の謎は解けないだろう。
そんな難題に秀吉は挑むのであるが、これが現在の企業さながらに大量製造をもって挑むという。そんな苦闘が描かれる。
さて、勝頼だ。
武田家において信玄はその死後、神か仏かのように崇められる。
勝頼がなにをするにしても信玄の名の下に家臣たちは反発する。
信玄公はそんなことはしないだの、信玄公の言っていることと違うだの。そういった、家臣たちを黙らせるためには、実力をもって示すしかない。
まるで、中小企業の二代目かのような苦悩を勝頼は体験するのである。
苦労しらずのボンボンの言うことなど、俺たち職人は聞かないぞと
当然、勝頼もなげく
「あんな駄々馬を手なずけるのは不可能だ」と、
しかし、勝頼は武田の当主として、己が家を守るために積極的な外征を打って出ることにするのである。
そして、その帰結として長篠の戦いが描かれる。
概して、私たちは、家を発展させたものを英雄で家を衰退させたものを暗愚だと蔑む。
しかしながら、家や企業というのは連続していくものである。まさしく引き継いでいくのだ。それは正の面だけでなく、負の面もそうだ。
二代目というのは英雄の負の側面を一手に引き受けがちなのだ。
英雄がそのカリスマゆえにに問題にしなかったこと、ならなかったことが、その英雄が亡くなると次第に噴出してくるようになるのである。
そして、その責を受け止めなければ家を滅亡していくのである。
物語中でも描かれるが、信玄は敵を作り過ぎた。信玄の拡張路線は多くの敵を作り、その外征の結果、国庫は底をつきかけ、にっちもさっちもいかなくなってしまった。そして、最終的には織田家という最大の敵を回してこと切れた。
信玄は問題の先延ばしをしていたにすぎない、自身の英雄像を確立し家臣を崇拝させ有無をいわさず皆を引っ張ってきた。その先が信玄には見えていたのであろうか?
その終着点にはいったいなにがあったのであろうか?
それを示さないまま信玄はこの世をさった。
そして、残された家臣は信玄の亡霊を追うかのように死後も彼の言葉に縛られつづけるのである。唯一、勝頼だけが反抗した。
そんな勝頼の苦悩を描いた一冊が
天地雷動である。
面接官にいいたいこと思うこと。(復刻)
職を失ってから現在で二か月目である。
この二か月間というのは、別に遊んでいたというわけではなく、面接の連続であった。
この期間はほぼ毎日面接を受けてていたかのように思う。
と、言っても、土日がどうしても企業さんはお休みなのでその分は、面接はなかったのであるが
それでも、だいたい30社から40社は受けていたかのように思い。だいたいと言うのは
10社落ちたあたりで数えるのをやめたからだ。
この業界が厳しいというのは、何せ新卒の時に探しても職が得られなかったぐらいだ。
しかしながら、私には少し気持ち的に余裕があった。
何故なら、この時、私は多少なりとも経験者として働いていたことがあるからだ。
歳もまだ26と若いことも自分が好物件であることを強く意識させた。
どうせそのうちに見つかると高をくくっていた。
しかし、それはただの慢心だった。
面接が通らない。
新卒の時も思っていたが、これがどうも私と相性が悪いみたいである。
確かに中には笑って下さる人もいる。時折盛り上がって、好感触な面接があったりしても結果はいつも不採用であった。
人柄はいいがスキルがたりない。
どうもエージェントの人に言わせるとこういうことらしい。
なるほど、スキルが足りないのなら仕方がない
それは、私の不勉強のせいであるからだ。
しかし、納得できないことが一つ
だったら書類で落としてくれ
スキルなんていうものは、実践以外でが書類に書いていることが全てであるのだがら
それが、理由で落とすのならいっその事、書類でおとしてくれたほうがましだ。
何故なら面接はとても手間がかかる。
こちらからしたら、一縷の希望をかけて望んでいるからだ
そのための企業研究や先行作品の勉強など、面接対策もそうだししなければならないことがたくさんある。
ちなみに私はその準備に最低二日はかける。受かりたい企業ならもっとだ。
さて、そんな用意周到な準備をして交通費もかけて、時間もかけて
落とす理由が書類でわかることであるならば
書類でおとしてくれたほうがわるかにマシだ。
今でこそ、東京の会社へ電車で数時間でかかる距離ではあるが
私が新卒のころは、関西方面から通っていた。
とうぜん、一次面接で落とされるのであるが、面接というのは求職者からしても時間とお金が多大にかかるのだ。
で、あるならば面接官もそれなりのことをして欲しいと思うのはこちらの我儘であろうか。
まあ、会社にはこちらの事情など関係ないなどど言われればそれまでではあるが。
面接官の中には
落とすための面接を行っている人も多い
つまり、求職者に威圧的な態度をとり、少しでも気に入らないところがあればネチネチと攻めてくるアレだ。
多くの面接を受けてきたが、体感上7割がそういう感じであったかなと思う。
こういった面接であれば最悪だ。
こちらから、働くことを願いさげだ言いたくなるような扱いをうけると、
今までの時間を返してほしいと切に願うようになる。
なんにせよ、良い思いはしない。
ここでその企業の名をあげてもいいが、
そうなればこちらにもある程度のリスクがつきまとうのでやめておこう
何にせよただの私怨はかっこ悪い。