書評 天地雷動(復刻)
いつか会社がなくなるように
戦国の世というのは、いつでも滅亡ととなりあわせでやった。
しかし、滅亡するお家でもその予兆というものがある。今川氏は桶狭間だし、豊臣氏は大坂冬の陣といったようにだ。
それが武田家においては長篠の戦いと言える。
戦国時代屈指の名将といわれた武田信玄の後を継いだのが武田勝頼だ。
しかしながら、ご存じのように勝頼というのは信玄の息子ながら当初はその後を継ぐことは、期待されていなかった。諏訪氏の名跡をついだことからも明らかなようにむしろその信玄の息子ながら、微妙な立ち位置に追いやられていた。
そんな勝頼の苦悩を描いているのがこの作品
天地雷動である。
さて、この作品には、先ほども既述したように信玄没後の勝頼の動きがメインとして描かれている。
信玄という巨大な看板を失った、武田家は迷走をし始める。
大きく分けるとその派閥は、山縣、内藤ら信玄の下活躍をし始めた、四天王と
勝頼の下新しい体で台頭を計る長坂光堅ら新政権派である。
他、徳川家康や、羽柴秀吉なども登場し物語にエッセンスを加える。
例えば、秀吉であるならば三千丁の鉄砲の調達だ。
今をもってなを長篠の戦いの真実というものは、見えてこない。教科書では信長が鉄砲を駆使した新戦術をもって、古き戦いから脱しきれない武田家の完敗に負かしたと説明されるが、詳しいことは謎のままである。
しかし、ながらこの本では従来通りの説を採用してか、三千丁の鉄砲をもって武田を負かしたという筋書きだ。
その中で秀吉が活躍するのは、そ鉄砲を如何にして調達するかという点だ。
なるほど
いかに、信長が日本中に大半を支配していあっといえど、当時まだ製造されていたばかりの鉄砲を如何にして揃えることができたか?この謎を解かずして鉄砲3千丁の謎は解けないだろう。
そんな難題に秀吉は挑むのであるが、これが現在の企業さながらに大量製造をもって挑むという。そんな苦闘が描かれる。
さて、勝頼だ。
武田家において信玄はその死後、神か仏かのように崇められる。
勝頼がなにをするにしても信玄の名の下に家臣たちは反発する。
信玄公はそんなことはしないだの、信玄公の言っていることと違うだの。そういった、家臣たちを黙らせるためには、実力をもって示すしかない。
まるで、中小企業の二代目かのような苦悩を勝頼は体験するのである。
苦労しらずのボンボンの言うことなど、俺たち職人は聞かないぞと
当然、勝頼もなげく
「あんな駄々馬を手なずけるのは不可能だ」と、
しかし、勝頼は武田の当主として、己が家を守るために積極的な外征を打って出ることにするのである。
そして、その帰結として長篠の戦いが描かれる。
概して、私たちは、家を発展させたものを英雄で家を衰退させたものを暗愚だと蔑む。
しかしながら、家や企業というのは連続していくものである。まさしく引き継いでいくのだ。それは正の面だけでなく、負の面もそうだ。
二代目というのは英雄の負の側面を一手に引き受けがちなのだ。
英雄がそのカリスマゆえにに問題にしなかったこと、ならなかったことが、その英雄が亡くなると次第に噴出してくるようになるのである。
そして、その責を受け止めなければ家を滅亡していくのである。
物語中でも描かれるが、信玄は敵を作り過ぎた。信玄の拡張路線は多くの敵を作り、その外征の結果、国庫は底をつきかけ、にっちもさっちもいかなくなってしまった。そして、最終的には織田家という最大の敵を回してこと切れた。
信玄は問題の先延ばしをしていたにすぎない、自身の英雄像を確立し家臣を崇拝させ有無をいわさず皆を引っ張ってきた。その先が信玄には見えていたのであろうか?
その終着点にはいったいなにがあったのであろうか?
それを示さないまま信玄はこの世をさった。
そして、残された家臣は信玄の亡霊を追うかのように死後も彼の言葉に縛られつづけるのである。唯一、勝頼だけが反抗した。
そんな勝頼の苦悩を描いた一冊が
天地雷動である。